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橋本努の音楽エッセイ 第10回「韓国で見つけたハイパージャズの逸品」

雑誌Actio 20104月号、23

 


 すこし前の話になるが、韓国のソウルで、ずいぶんと洒落たジャズCDの店を見つけたことがある。繁華街の外れにあるその店には、ひたすら通好みのマイナーなCDが所せましと揃えられ、オーナーの鍛え抜かれた美意識が完璧なまでに表現されていた。店に入った瞬間から、もう、わくわくする感覚でいっぱいになってしまった。

 数万枚のCDがあったであろうか。これほど徹底したセンスでもって品揃えをしたCDショップは、少なくともニューヨークには存在しない。どうしてニューヨーク発のジャズCDがソウルで揃うのかといえば、おそらくジャズの本質が、社会の近代化とともにあるからであろう。ジャズは、近代化を遂げようとしている新興諸国の推進力となっている。ジャズのマニアがここソウルで育つというのは、この国が近代化のエネルギーを宿していることの、一つの傍証とも言えるだろう。

 ジャズは、小説や絵画などと比べて、最も遅れて来たモダニズム芸術の運動であったと言われる。それを象徴するのは、なんといっても1950年代の「バップ」だ。チャーリー・パーカーとバド・パウエルが革命的に成し遂げたそのスタイルは、従来のクラシックや大衆音楽などのあらゆる音楽の旋律を、まず節ごとに分解して「和声」として捉え、さらにその和声に即興のアドリブを加えて新しい可能性を拓いていった。その輝かしい担い手となったのは、ディジー・ガレスピーやアート・ブレイキーなどの若手たちである。

 バップはある意味で、近代的な個人主義の誕生を企てた音楽ともいえる。実際、担い手たちの多くは、アメリカで兵役を拒否し、ひたすら自己の芸を磨いていくような反体制分子たちであった。かれらは、全体主義国家に抗う不良少年で、自身の音楽においても、作品の全体に一体化したり、あるいは他の演奏者に合わせて順応することを拒んだのだ。作曲者や指揮者の意志を表現するのではなく、もっぱら各プレーヤーが主役となって、技を競いあう。そのためにバップ音楽は、和声の転換をどんどん速くして、各人がソロを取るときのゲームのルールを複雑にしていった。既存の音楽を換骨奪胎して、そこにいかなる個性を注ぎ込むのか。それが最大の関心になっていく。

 そんな音楽をハイパーな仕方で追求したのは、コルトレーンの『ジャイアント・ステップス』だろう。和声(コード)の順番を大きくすっ飛ばして先に進む。この展開が音楽として成り立つためには、よほど高度な演奏技術を発明しなければならない。コルトレーンは近代の運動を極限にまで高速化し、ハイパー近代の前衛になった。

 だがそうしたスタイルは、アメリカではしだいに成熟を迎え、前衛を気負わなくなっていった。豊かで静かな即興トリオの一品を、韓国で見つけた。リー・コニッツとチャーリー・ヘイデンという大御所の二人に、若きピアニスト、ブラッド・メルドーが挑んだライブ、Alone Together (Blue Note 1997)。三人の独立した個性が、それぞれ内面を掘り下げながらぶつかり合う。真剣勝負そのものだ。合わせながら切断していくという、こんなコミュニケーションにこそ、私は人生の本質があるのではないかと思っている。